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sayama green tea

さやま茶とは

狭山茶は『色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でトドメさす~♪』

ともうたわれる、日本三大銘茶の一つです。

1 味の特徴

味の特徴

狭山茶は、お茶の栽培が産業として成り立つ北限のひとつに位置する寒冷地のお茶です。

厳しい冬を越えるため、葉肉があつく、味、色、香り、成分量のどれもが相対的に強いのが一番の特徴です。

 

栽培される主な品種は『やぶきた』『さやまかおり』

『やぶきた』は日本のお茶の栽培面積の70%弱を占める一般品種(令和3年度)

ですが、狭山の『やぶきた』はこの土地でしか育たない独特の深みを持っています。

重ねて、上述の通りの葉肉のあつさもあって狭山の地では深蒸しでのお茶づくりが中心で、茶葉の形よりも味を追求してきた歴史もあり、そのあまみ・うまみの強さには定評があります。

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▲参考 農林水産省ホームページより

また、狭山の地では濃厚で独特な香り・あまみを引き出す、『狭山火入れ(さやまびいれ)※』という仕上げ方法を伝統的にとっており、それが狭山茶の特徴の一つとなっています。

狭山茶農家 ささら屋の狭山茶

ささら屋が自信を持ってお届けする3種類の狭山の上級煎茶です。

上級煎茶 いぶき

シャキっと朝の目覚めにぴったりの

​さやまかおりシングルオリジン煎茶

上級煎茶 のどか

​ご飯やおやつのおともにぴったりの

やぶきたシングルオリジン煎茶

上級煎茶 さくや

夜のほっと一息にぴったりの

​さやまかおり+やぶきたブレンド煎茶

上級煎茶

狭山火入れって何?

火入れとは、「加工の仕上げ段階で熱を加え、乾燥を十分に行って貯蔵性を高めるとともに、

加熱香気を生成させて味や香りを向上させる工程」です(出典:埼玉県HP)。

高温で「火入れ」することで独特の強い「火入れ香」が出て、淹れた後のお茶の色が澄んだ黄金色となります。

狭山火入れは江戸時代に狭山茶が再興された際、吉川温恭(よしかわ よしずみ)、村野盛政(むらの もりまさ)らによって狭山茶独特の加工技法に昇華され、広められました。

狭山火入れ
産地の特徴

産地の特徴

埼玉県西部に位置する狭山丘陵(現在の入間市、狭山市、所沢市)が、狭山茶生産の中心です。中でも入間市が狭山茶の生産量の約60%を占め、「現代の狭山茶が再興された地」としての石碑が残る宮寺もこの入間市に位置します。

 

因みに、狭山茶は秩父や東京西部でも栽培されており、特に東京西部で作られる狭山茶は東京狭山茶と呼ばれます。

 

そんな狭山茶の産地では古くから自前主義の意識が強く、各農家が加工機械までを所有し、栽培から加工、販売までを担うことが多かったのもその特徴です。

これを「自園・自製・自販」と呼ぶのですが、結果として狭山茶は農家によってお茶の特徴が異なり、同じ狭山茶の中でもそれぞれのお茶の違いを楽しむことができます。

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■ささら屋の和紅茶

​ 狭山和紅茶かえで

また、寒冷地の狭山では元来、被覆栽培による抹茶・玉露の栽培は少なかったのですが、近年は抹茶や玉露茶も作られるようになりました。さらに、日本茶の茶葉で作られる和紅茶はもちろん、調理用のお茶のペーストやジェノベーゼ、高級ボトルの狭山茶の販売など、様々な挑戦を続けているのも狭山茶産地の特筆すべき部分でしょう。

『都心からも最も近いお茶どころ』である狭山のお茶農家は、今なお新たな挑戦を続け、お茶の普及に努めているのです。

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■二番茶葉を利用した入浴剤

​ お茶農家さんが作った入浴剤

収穫の特徴

3 収穫の特徴

狭山茶は、通常5月の上旬に一番茶の収穫が行われ、6月中旬から後半にかけて二番茶の収穫をむかえます。

 

寒冷地であるために多産地よりも茶摘みの開始時期が遅く、収穫も二番茶までとなることが通例で、一部の農家で10月に秋冬番茶の収穫が行われることはありますが、収穫は多くて年に3回ほどとなります。

また、高度経済成長期以降東京のベッドタウンとして宅地化が進んだこともあり、狭山は日本三大銘茶の産地でありながら茶畑の面積は全国で8位(全体の2.1%)。

生葉収穫量でも11位(全体の1.1%)、荒茶生産量では10位(全体の1.1%)と、希少価値の高い高品質な日本茶として扱われています。

 

※順位は全て令和2年度

狭山茶の歴史

狭山茶の歴史

※狭山茶の歴史には諸説あります

狭山茶の起こりは鎌倉時代、中国からお茶の種を持ち帰った慈覚大師 円仁が、その種をお寺の境内や畑に植えたことがはじまりとされています(他説では、臨斉宗の開祖である栄西禅師が中国より種子を持ち帰り、京都の高僧 “明恵上人”が「武蔵河越の地」に栽植したのが狭山茶の始まりともいわれます)。

室町時代には武藏河越(現在の川越)の地や、狭山丘陵の有力寺院を中心に積極的に日本茶の栽培が行われ、文献上も河越茶※1慈光茶※2が当時の銘茶として取り上げられていましたが、戦国時代に一度狭山丘陵でのお茶の栽培は衰退してしまいます。

その後江戸時代後期の1800年ごろ、吉川温恭(よしかわ よしずみ)・村野盛政(むらの もりまさ)・指田半右衛門(さしだ はんえもん)らが、京の永谷宗円(ながたに そうえん)の考案した『蒸し製煎茶法』を取り入れ、現在の狭山茶に繋がるお茶づくりを再興します※3

狭山茶の石碑

■重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)

吉川・村野・指田らは蒸し製煎茶に加え、狭山火入れ・手もみ茶製法も確立し、狭山茶の復興と普及に大いに尽力しました。

そして江戸時代の狭山茶は当時の茶商『山本山』5代目協力もあり、江戸の街に出荷されて高く評価され、さらに横浜港が開けるといち早く海外にも輸出されました。

こうして鎌倉時代に端を発する狭山茶は、江戸時代の先人たちの努力すえ、現代までその伝統と味を受け継ぎ、お茶を愛する多くの人々に今なお楽しまれているのです。

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狭山会社がアメリカで販売した茶のラベル
​引用「ALITホームページ」より

※1:河越茶

河越茶の名称には、この当時の武藏河越のお茶を河越茶と呼ぶもの、江戸時代、お茶の栽培の盛んであった武藏国狭山丘陵が河越藩の領地だったことから河越茶と呼ぶものなど諸説あります。いずれにしても、河越茶は現在の狭山茶の起源の1つと言われています。

※2:慈光茶

室町時代に慈光寺で栽培され、狭山茶の起源の1つと言われています。慈光茶は、戦国時代に途絶えたとされていまいたが、埼玉県主導でその復興プロジェクトが行われています。

※3:狭山茶再興を記念する『重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)

天保3年(1832) 、入間市の出雲祝神社に、新たな茶づくりを確立した狭山茶業復興の記念として建碑されました。我々狭山茶農家 ささら屋は、この出雲祝神社のすぐ近くで、江戸の昔より茶業を営んでいます。

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