埼玉県は入間市宮寺にて、江戸の昔より続くトトロの森ほど近くの狭山茶農家です。

入間市宮寺は『狭山茶再興の地』としての石碑の残る由緒ある狭山茶の産地。

そんな宮寺で大切に茶葉を育て、狭山茶製品の販売から狭山茶の新しい楽しみ方の提案まで、

総合的な活動を行っています。

心安らぐひとときを、一杯の日本茶とともに。

 

美と健康にも効果的な緑茶が持つ『リラクゼーション効果』と日本茶本来の魅力を大切に、

楽しみ方は新しく、わたしたちにしか手掛けられないお茶商品をお届けします。

ささら屋は『守ること』をキーワードに、3つの想い・ミッションを持って活動しています。

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『ささら屋』の名は、埼玉西部方言の『ささらほうさら(しっちゃかめっちゃか)』が由来となります。

 

江戸の昔より長きにわたって受け継がれてきたお茶づくりの伝統ある知恵と経験。

そして、新たな担い手の持つ若く力強い想いと、先端のテクノロジー。

 

そのままでは散らかってまとまらない伝統と革新が良い意味で混在し、

「故きを温ねて新しきを知る」新しい価値を生み出す。

そんな活動理念と想いを込めて付けられた屋号となります。

各SNSのアカウント画像にも使用しているささら屋のロゴマークは、

ささら屋の母体となる中村家(なかむら農園)の家紋をトレース・アレンジしたものです。

ささら屋の茶畑は、竹林のおとなり。雀が飛びかう穏やかな風景から、中村家の家紋には雀・竹があしらわれていました。

そこへ今回茶農家のロゴマークとしてアレンジするにあたって茶器の要素を加え、すがすがしさ・爽やかさを意識してデザインにまとめました。

ささら屋は江戸時代より入間市宮寺の地で茶農家を営んできた中村家を中心に、2018年1月に現行の体制となって立ち上がりました。

 

中村家は、狭山茶再興の地である宮寺でその茶業の隆盛を支えた農家の一つ。

江戸時代後期(1700年代後半)、源左ェ門(げんざえもん)・源兵衛(げんべえ)らが宮寺の山ぎわ、竹やぶの脇に「丘なりの茶畑」をかまえたのがその始まりです。

この当時から、1802年に同地で狭山茶が再興されると、中村家は江戸の街へと出荷される茶葉を納品する茶葉の生産農家として茶業を営み、明治時代は3代目 勇右ェ門(ゆうえもん)、大正時代には4代目 萬吉(まんきち)と代々茶業を中心に農業を続けてきました。戦時中も入間の空軍基地の近くであったにも関わらず空襲等をまぬがれ、当時のままの茶畑を現在まで引き継いでいます。

また、昭和中期に一家の大黒柱であった6代目の中村芳雄(よしお)は、茶業を中心としつつも畑作や養鶏・養豚といった畜産業など、そのほかにも多角的な農業に挑戦。

この時代までは、中村家は茶業を中心とした農業で生計をたてることができていました。

6代目 中村芳雄

しかし、時代が高度経済成長期を迎え、人々のライフスタイルが大きく変化した結果、農業だけで生計をたてることは非常に難しい時代が到来しました

7代目で現当主である中村勝雄(かつお)も会社員として働きに出るとともに、折に触れて茶業を手伝う形にとどまり、茶業では年間を通じて収益がほとんど出ない状態となりました。

こうして、茶業が「生きるための生業(なりわい)」とは言えなくなっていってしまったのです。

 

そして2016年、中村家の茶業の中核を担っていた中村芳雄が他界。

今後の茶業をどのように営んでいくべきか、現当主の中村勝雄を中心に、一族で様々な話し合いが行われました。

 

出た結論は、

『生産だけの農家から脱却を図り、六次産業化を目指した新しい形の茶農家として、中村家の茶業を復活させること』。

 

当家の娘婿が本格的に参画することも決まり、茶業を再び盛り上げる方向で話がまとまりました。

 

こうして、中村家(なかむら農園)を前身母体に2018年1月に生まれたのが、総合提案茶農家『ささら屋』なのです。